ブータン難民の真実

ブータン旅行はGNHトラベル&サービスがオススメです。
写真家と一緒に旅したい!そんな企画も実施しています。フォトグラファー ヨシダ ナギ と行く秘境ツアー ブータン編HP要チェックです!!
いやこのツアーは機会があれば本当に行きたかった。ヨシダナギさんってクレイジージャーニーってテレビ番組にも出てて、以前自分も寄稿させていただいたJGAPのヨシダナギさんの記事はとてつもないいいね数を獲得していた。。
今後もHPチェックするしか!
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ブータン難民の真実
4日目は午前中ドチュラ峠に行きました。
ここは空港があるパロ、首都のティンプーの奥にあるので期間が短い人は行かない人もいるらしいですが、はっきり言って行った方がいいです。
本当にきれいだった。
ここには108の仏塔があります。
これはブータンとブータン南部の内戦の負傷者のために建てられました。
そこらへんを自分の知っている知識で説明したいと思います。
ブータンに行く前、ネパールにいる時にブータン難民が多くいることを知りました。
幸せの国ブータンにも難民はいます。
ちなみに難民とは、
wikipediaによると、
(戦争・天災、また人種や信条などでいためられて)困難におちいった人民。特に、戦禍・迫害等を避けて流浪(るろう)する人民。
だそうです。
この難民の原因。
昔ブータン南部に悪さをする人が多くいました。トラックを襲って物を奪ったり、今でも少ないですがいるそうです。
そこで前の国王、4代国王が自ら交渉しに行きました。
「やめようぜ」
しかし、その南部の人は国王に向かって発砲したと言います。
その玉をよけ(ブータンの人は守護尊が守ったといいます)、
「じゃあ何日のこの時間に決闘をしましょう」
よけいな被害を出さないように、時間を指定し、また国王自ら戦い
最後には勝利したといいます。
その負けた南部の人たちが難民になったと言われています。
簡単に言うと悪さするやつを追放したって感じです。
あるサイトではこんなことが書いてありました。
ブータンの歴史
チベットが中国に攻撃されブータンに逃げる↓
ブータン王国が出来る↓
ネパール人が来る↓
ネパール人が増え追い出す↓
元祖ブータン人(東)も追い出そうとする
これは合っているような、間違っているような、
ブータンは地域によって言葉が違います。ですが学校はゾンカ語(国の言葉)と英語です。日本のシステムと同じです。
学校の言葉を統一する。これをネパール系の人に対する迫害ととらえている人もいるそうです。
また西を中心に発展しています。なので、東の人が不満を抱くこともあるそうです。日本でも東京ばっかり発展しています。
このことを追い出すととらえている人がいるそうです。
日本の多くのサイトがブータンは人を追い出し、難民を増やしていると表示しています。
でもこれはちょっと勘違いだと私は考えます。これはちゃんと主張したいです。
ですが、ブータン難民が増えているという事実もある。それは何故か?
聞いてみました。ネパールで日本語を勉強していたガイドさんは言います。
「難民になればアメリカのビザが簡単にとれるからネパールに来ていたブータン人がたくさんいた。」
難民の審査が通れば、ビザの問題、補助金の問題、たくさんの優遇措置があるといいます。
これが、良くも悪くもブータン難民が増えている大きな理由の一つです。
ちなみに日本人難民もいます。
こちらのサイト参照
その後、ドチュラ峠のハイキングコースをを登りました。雲がほとんどない天気でした!
頂上からの景色。
ヒマラヤの山々が横一列に並びます。そしてブータン流の写真の撮り方。
お決まりのジャンプは失敗に終わりました(笑)。ガイドさん、ドライバーさんと。
帰りは石を投げたり、走ったり、飛んだり、木に登ったりしながら下ります。
はっきり言って、登りより下りの方がきつかったです。
ブータン人は自然を楽しみます。
そして、シムトカゾンへ。ここは一番歴史が古いゾンだそうです。建物自体は山火事によって何回か立て直されていると言います。
ここで何気ないことですが、目が合ったタクシーの運転手がお辞儀をしてくれました。
なんだか嬉しかったです。
そしてこの日から2日間ホームステイです。

ネパールにあるブータン難民キャンプで活動してる人にとっては、「いや、それは違うだろ」って感じるかもしれません。
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