そろそろコンフロントワールドの3年間を振り返ってみるか
色々あって区切りのタイミングなので、コンフロントワールドで自分がやってきたことについて振り返ってみましたー。
完全に自己満で書いています。
暇な時に、飛ばし飛ばしでお読みいただくのがおすすめです!
そもそも何者??
会社員やりながら、NPO法人の代表をやっております。
会社員は人材系の企業でサラリーマン頑張っていて、
NPO法人のほうは、NPO法人コンフロントワールドの代表として、アフリカに学校建てたり、石鹸工場作ったりしております。
法人設立まで
NPO立ち上げたの?
学生から続けているの?
と言われることもあるのですが、社会人になってNPOを設立しております。
学生時代は、
理系の大学に入ったところ、
勉強や研究が難しすぎてギブアップし、
「あー他に楽しいことないかなぁ」
と海外行ってみたら、海外ボランティアにはまり、休学して世界一周しながらボランティアやるほど、色んな国でボランティアをやってました。
そういえば24時間テレビでたなぁ。石原さとみ可愛かったなぁ。
そこからコンフロントワールドにプロボノ(簡単に言うとボランティア)で関わるようになり、コンフロントワールドが法人化するタイミングで、流れもあって、副代表に就任しました。
最初は本当に社会人が友達の手伝いをする感じでした。
設立1年目
手伝っていたサークルのような組織が法人化し、自分も副代表になり、
「よし、やるぞ!」
というタイミングで、当時の代表が体調不良で団体を離れることになり、
繰り上がりで僕が代表になりました。
うん。気づいたら代表になってた。
実は僕が代表になった時は、事業も無し、海外の拠点も無し、団体のお金も無しという状況で、
「あーいつ潰れるんだろう」
という、法人化したのに、後が無い状況でした。
しかも、「休学してインターンします!海外行かせて下さい!」という学生もいたり(いや、活動地ねぇわ)、
「仕事の調整して時間作りました!お金いらないので手伝わせて下さい!」という社会人もいたり(いや、何もすることないから手伝うこともねぇわ)
ガソリンが無い、行先も無いのに、荷物だけ載っている、ぼろい軽トラの運転手にいきなりなった気分でした。
「ガソリン入れないと、いやそもそも目的地を決めないと」
「もしくはうまいことこの軽トラ処分するか、軽トラ乗ったことないし、この軽トラはマニュアルじゃん。」
いやぁ外れくじ引いたわと思っていましたし、本業も忙しいし、とてもネガティブな感情がありました。
一方で、それ以上の大きさで、ポジティブな、ワクワクがありました。
「この軽トラで、どこまでだって行けるじゃん!」
設立2年目
必死でした。
とにかくまずは、海外の活動地を作ろう。
しかも自分は会社員だし海外に駐在出来ない。そんな中でも活動が出来る状態を作ろう。
そんな時に、ヒントにしたのは、(結果的にですが、)本業の仕組みでした。
本業の会社は、ものすごく簡単にいうと広告を売っているのですが、その営業担当は自社の社員だけでなく、他の会社の代理店を活用しております。
ようは、他の会社の人が、自社の商品売っている、その人たちをパートナーと呼んでいる。
じゃあコンフロントワールドも、自社の事業を展開する、他の団体のパートナーを作ろう。と考えて、
海外の団体を、ネットや知り合い経由でピックアップし、良さそうな団体をいくつか訪問し、
その中で今でも一緒に事業を展開しているJEDOVCという団体に会い、その団体と提携したのが、コンフロントワールドの一つの事業の始まりでした。
俺、そんなに海外行けないわ。
そういえば本業は、他の会社をパートナーと呼び、協力しながら事業を展開しているな。
コンフロントワールドもパートナーと共に事業を展開していこう。
と思って活動を立ち上げたのが、
今でもコンフロントワールドの活動に、結果的にですが反映しており、それがアイデンティティとなっているため、
本業は別にあってもコンフロントワールドで活動している社会人メンバーや、
バイトや学業と両立しながら活動する学生メンバーも活躍する団体になっております。
NPOって日本人が駐在して必死に活動して、っていうところが多いのですが、
コンフロントワールドは、海外の優秀な人とパートナーシップを結び、その人が主役で我々はあくまでサポートという形をとっております。
ただ、この時代は本当に必死で、
泥臭く寄付を集めたり、
コンフロントワールド内のギクシャクで迷惑をかけてしまった方々にひたすら謝罪をしたり、
離れていくメンバーに申し訳ない気持ちで涙が溢れてきたり、
団体のHPですら、僕が一人で徹夜で作成したぐらいです。
苦しい気持ち95%、嬉しい気持ち5%ぐらいの割合で、
自分の中の細い糸が切れる寸前でぎりぎり耐えたという時期でした。
(もうあんな大変な思いはしたくないと思いながら、今でも大変なのは変わらない…)
「おっ軽トラ走り始めたぞ!気づけば自分の身体は傷だらけになったけど、やっと進み始めた!」
設立3年目
ここから先ほどのパートナーと共に、ウガンダで貯水タンクやトイレを建設し、
「不条理の無い世界の実現=生活と権利が保障され、誰もが自分で未来を決められる社会の実現」というビジョンに向けて、少しずつですが、世界に価値を提供していきました。
さらに、
タンザニアの新たなパートナーとも提携し学校建設を開始したり、
法人設立前から実施していた南スーダン難民支援も何とか継続し、
ペルーの刑務所発ファッションブランドとも日本で唯一の販売委託契約を結び販売を開始しました。
ペルーの刑務所発ファッションですよ。面白いですよね。
タンザニアの学校もまだ建設中ですが、近年正式にタンザニア政府に認可されるように動いております。
そしてプロサッカー選手の本田圭佑選手がクラブオーナーを務めるSOLTILO Bright Stars FCの「SDGsパートナー」に就任いたしました。
どんどん活動を広げていき、もしかしたらある意味現場から離れ、パートナーとの向き合い方やお金の調達の仕方ばかりに拘るようになり、それで離れていったメンバーもいました。
ここから自分の思考もちょっとずつ変わっていき、団体の中で何に焦点を当てるか、組織をどんなルールで動かすかということに注力していきました。
ようは、“何を捨てるか?”を必死に問い詰めるようになっていきました。
コンフロントワールドは専任(フルタイム)の職員がいないので、時間も制限されております。大きなNGOと違い、資金も乏しいのでお金も制限されております。
そんな中、目指すビジョンに向けて、より早く、大きく進んでいくには、ただがむしゃらに進めば良いというわけでもないことに気づきました。
「よしこの道進むぞ!あれ行き止まりだ…」
「よしこの道進むぞ!あれ急な上り坂だ…」
そんな経験が多くなり、また代表という立場や自分の性格を考え、ひたすらに“団体のルール”を作っていきました。
「この道が遠回りだけど、一番渋滞が少ない!」
「無理な運転はせず、適度に休憩を取ろう!」
もしかしたらこの時期は組織として失ったものも多くあったかもしれないですが、
それでも得られたものもありました。
この時期は、サッカー選手で例えると、ひたすら走ってシュートを打っていたところから、
キャプテンマーク付けて周りへの声掛けをしたり、
監督となってスタメンを決めたり、
バックオフィスとなってスポンサーへの営業や強豪とのテストマッチの依頼などを実行するように、
どんどん自分の視野が広がっていきました。
というよりも、広げざるを得ない状況でした。
そして結局今でもシュートは打っています。
あー経営者って楽しいなぁ。でもくそ大変だなぁ。
「軽トラ進んだけど、道が分からん。でも進み続けなければならない。」
「進みながら地図や予定表を作るぞ。」
「そして、、、最終的な目的地はどこだ…???」
設立4年目
そしてコンフロントワールドは4年目を迎えているのですが、
世界的な新型コロナウイルス感染症の拡大をうけ、ウガンダで石鹸工場を作ることにもチャレンジしております。
石鹸買うのではなく、作ってしまえ!
様々な取り組みを行い、時には中止した事業も多くあります。それでも事業を拡大していきました。
そして多くの人を救ってきました。
ただ、ふと他のNPOや国際機関を調べてみると、
コンフロントワールドと規模が違いすぎるのを目の当たりにします。
お金の規模でいうと、一桁、いや二桁。もっと大きなところだと三桁、四桁違います。
必死にやってきた。実際、自分の色んなものを進んできた。
その結果が、他と比べると、米粒ぐらいの価値しかなっていない。
これはコンフロントワールドの僕を含めたメンバーが、本業は別にあって活動しているというのが要因ではありません。むしろそれによって事業が加速したことは確実なので。
そうではなく、自分自身のスキルや覚悟が問題です。
NPOや国際協力の従事者としても、経営者としても素人で、
うわー先は長いなぁ。全く前の背中見えないなぁと、いつも絶望しております。
それでも不条理の無い世界に近づけていきたいですし、その気持ちを否定は出来ません。
「とにかく進むしかないなぁ。」
そんな中、コンフロントワールドならではの価値・存在意義、自分自身ならではの価値・存在意義を考えるようになりました。
どんだけ頑張っても、生きているうちにコンフロントワールドは国連超えられないな。
じゃあ自分の責任でどこまで行くか。
副業でやってきて見えてきたこと、NPOを経営したからこそ見えてきた世界いっぱいあるな。それを活かしたいな。
僕は、
”35歳でNPOを引っ張るビジネスマンになる”
という夢があります。
本業がある人間だからこそ、NPOを創設し拡大させてきたからこそ、新参者でNPOの先輩方に忖度する必要が無いからこそ、
国際協力の業界の中で、自分自身しか出来ないことがあることが、何となく見えてきました。
まだぼんやりしておりますが、まずは”35歳でNPOを引っ張るビジネスマンになる”というところに向かっていければと。
そしてコンフロントワールド。
コンフロントワールドは規模で他のNPOに追いつけ追い越せではなく、今のコンフロントワールドのメンバーだからこそ、組織構成だからこそ、出来ることもあります。
もう文章を打ち疲れたので、詳しくは割愛しますが、一つ内部向けに作った資料を貼ります。
ようは、国際協力の学校的な機能を持ち、銀行やベンチャーキャピタルのような機能も持つ。
そして様々な寄付の形、応援の形を実現する。
みたいなことを考えております。
「軽トラ走り始めて良い感じになってきたけど、先輩方はるか先にいるぜ。あれはスーパーカーかよ。それに比べて俺ら全く進んでいないぞ。」
「それでも自分たちの進み方で、自分たちにしか行けない目的地へ。」
コンフロントワールドは本当に面白いタイミングなので、泥臭く一緒に進んでいきたいという方はこっそりご連絡下さい。
本当に軽トラを後ろから手で押すぐらい泥臭いこともウェルカムな方ならぜひ!
オリンピックで自分より全然年下の選手が活躍していて、あー俺何やっているんだろうと思うこともありますが、
自分なりの金メダル目指していきましょー。
色々なことを経験してきて、社会に対する不満や偏見もどんどん出てきて、声をあげて批判したいこともたくさんあるけど、
そんな宝のような経験を”刃物”ではなく、社会に繋いでいく”財産”にしていければと思います。
最近取材記事が出たり、もうちょっとしたら取材された雑誌とかもちょっとずつ出ていくのでぜひー!
【Hear To プロジェクト】#11 NPO法人コンフロントワールド代表理事荒井昭則さんが「自分がやりたいことに一歩を踏み出せていない学生」へ送るメッセージ
兼業でNPO代表??就活の話からNPO立ち上げの経緯まで聞いちゃいました。 ~NPO法人コンフロントワールド荒井昭則さん~